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神戸地方裁判所 昭和58年(ワ)781号 判決

原告

今中慶男

右訴訟代理人弁護士

宇津呂雄章

上田隆

森谷昌久

被告

今中日出雄

右訴訟代理人弁護士

前田貢

被告

兵庫県

右代表者兵庫県知事

貝原俊民

右訴訟代理人弁護士

大白勝

右訴訟復代理人弁護士

上谷佳宏

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自原告に対し、金七五九〇万四六一七円及び内金七一九〇万四六一七円に対する昭和五八年七月一二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら共通)

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  別紙物件目録記載の(一)、(二)の土地(以下それぞれ「本件(一)の土地」、「本件(二)の土地」という。)は、もと今中慶作(以下「慶作」という。)が所有していたものであるが、昭和二〇年六月一三日に同人が死亡したことにより原告が家督相続人としてその所有権を承継取得したものである。

2(一)  ところで本件(一)(二)の土地は、被告兵庫県(以下「被告県」という。)による武庫川総合開発青野ダム建設事業用地として買収の対象となつたが、右用地買収交渉に際し、被告今中日出雄(以下「被告日出雄」という。)は、自らは本件(一)の土地を耕作していないにもかかわらず、これを偽つて長年耕作し耕作権がある旨を被告県に申告し、昭和五〇年一二月二六日、原告に無断で、原告が被告日出雄に対し本件(一)の土地につき四五パーセントの耕作権があることを認めた旨の確認書を作成して被告県に提出した。

(二)  本件(一)の土地の用地買収交渉における被告県の担当者は、田中清及び三谷定夫であつたが、同人らは、被告日出雄の耕作権の存否について農業委員会に問い合わせるなど用地買収に当たつてのごく初歩的な調査も怠り、被告日出雄の言をそのままうのみにして被告日出雄が本件(一)の土地につき耕作権を有することを認め、昭和五〇年一二月二六日被告日出雄との間で本件(一)の土地について代金七六四〇万八二一〇円(内金三四三八万三六九五円は被告日出雄の耕作権に対する補償分)とする売買契約(以下「第一回売買契約」という。)を締結した。

右代金額は、昭和五一年一二月一七日に二三五二万三〇六九円(内金一〇五八万五三八一円は被告日出雄の耕作権に対する補償分)増額されて総額九九九三万一二七九円(内金四四九六万九〇七六円は被告日出雄の耕作権に対する補償分)となり、昭和五〇年一二月三〇日、昭和五一年三月二九日、同年五月三一日、同年一二月二四日の四回にわたつて原告及び被告日出雄にそれぞれ支払われた。

3  本件(二)の土地の用地買収交渉における被告県の担当者は米谷健であつたが、米谷は被告日出雄の耕作権の存否について農業委員会に問い合わせるなど用地買収交渉に当たつてのごく初歩的な調査も怠り、第一回売買契約の際に被告日出雄から提出された確認書に基づき、本件(二)の土地についても調査の結果被告日出雄に耕作権があるとして、原告にその旨の確認書を提出させた上で、昭和五七年四月一日原告との間で本件(二)の土地について代金五九八五万六七五九円(内金二六九三万五五四一円は被告日出雄の耕作権に対する補償分)とする売買契約(以下「第二回売買契約」という。)を締結した。右代金は昭和五七年四月三〇日原告及び被告日出雄にそれぞれ支払われた。

4(一)  被告日出雄は、被告県に対し、本件(一)(二)の土地について耕作権を有せず、仮に耕作権を有するとしても、その場合は所轄農業委員会の許可を必要とするところ、右許可を受けていないので耕作権は認められないのにもかかわらず、これを有する旨偽つた申告をして、自ら第一回売買契約を締結するとともに、本件(二)の土地についても、米谷をして被告日出雄が耕作権を有する旨誤信させて第二回売買契約を締結させ、耕作権の補償として被告県から総額七一九〇万四六一七円の支払を受け、もつて原告に右同額の損害を与えた。

(二)  また被告県は、その職員である田中、三谷、米谷らの過失により、もともと耕作権を有することがなく、また仮に耕作権を有するとしても、これにつき所轄農業委員会の許可を受けていないのであるから耕作権を認めることができない被告日出雄に対し、本件(一)(二)の土地についての耕作権の補償として総額七一九〇万四六一七円の支払をなし、もつて原告に右同額の損害を与えた。

(三)  原告は、本件損害の賠償について、被告日出雄及び被告県から誠意ある回答を得られないため、本訴提起のやむなきに至り、本訴の提起追行を原告訴訟代理人に依頼したが、その際弁護士報酬として四〇〇万円の支払を約した。

5  よつて、原告は、被告らに対し、不法行為に基づく損害賠償として、各自右損害金の合計七五九〇万四六一七円及び弁護士費用を除く内金七一九〇万四六一七円に対する訴状送達の日の翌日である昭和五八年七月一二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告日出雄)

1 請求原因1の事実は認める。

2(一) 同2(一)の事実のうち、本件(一)(二)の土地が被告県による武庫川総合開発青野ダム建設事業用地として買収の対象となつたこと、被告日出雄が本件(一)の土地について四五パーセントの耕作権を有する旨の確認書を被告県に提出したことは認めるが、その余は否認する。

被告県から支払われる売買代金のうち四五パーセントについて、被告日出雄がこれを受け取る権利のあることは、第一回売買契約を締結するに当たり原告の承知していたところであり、このことは原告自身が第二回売買契約締結の際に被告県に対し被告日出雄を耕作権者として承認する旨の確認書を提出していることからも明らかである。

(二) 同2(二)の事実のうち、昭和五〇年一二月二六日被告日出雄が被告県との間で本件(一)の土地について代金七六四〇万八二一〇円(内金三四三八万三六九五円は被告日出雄の耕作権に対する補償分)で第一回売買契約を締結したこと、右売買代金がその後原告主張のように増額され、被告県から原告に対し五四九六万二二〇三円、被告日出雄に対し四四九六万九〇七六円が支払われたことは認め、その余は不知。

3 同3の事実のうち、原告が被告県との間で本件(二)の土地について代金五九八五万六七五九円(内金二六九三万五五四一円は被告日出雄の耕作権に対する補償分)で第二回売買契約を締結したこと、右売買代金として被告県から原告に対し三二九二万一二一八円、被告日出雄に対し二六九三万五五四一円が支払われたことは認め、その余は不知。

4 同4の事実のうち、被告日出雄の耕作権につき所轄農業委員会の許可を受けていないことは認めるが、その余は否認する。

(被告県)

1 請求原因1の事実は認める。

2(一) 同2(一)の事実のうち、本件(一)(二)の土地が被告県による武庫川総合開発青野ダム建設事業用地として買収の対象となつたこと、昭和五〇年一二月二六日被告日出雄に四五パーセントの耕作権がある旨の確認書が同被告から提出されたことは認め、その余は不知。

(二) 同2(二)の事実のうち、当時の被告県の用地買収交渉担当者が田中と三谷であつたこと、昭和五〇年一二月二六日被告県が被告日出雄との間で本件(一)の土地について代金七六四〇万八二一〇円(内金三四三八万三六九五円は被告日出雄の耕作権に対する補償分)で第一回売買契約を締結したこと、右売買代金がその後原告主張のように増額され、被告県が原告に対し五四九六万二二〇三円、被告日出雄に対し四四九六万九〇七六円を支払つたことは認めるが、その余は否認する。

3 同3の事実のうち、当時の被告県の用地買収交渉担当者が米谷であつたこと、昭和五七年四月一日被告県が原告との間で本件(二)の土地について代金五九八五万六七五九円(内金二六九三万五五四一円は被告日出雄の耕作権に対する補償分)で第二回売買契約を締結したこと、右売買代金として被告県が原告に対し三二九二万一二一八円、被告日出雄に対し二六九三万五五四一円を支払つたことは認めるが、その余は否認する。

4 同4の事実のうち、被告日出雄の耕作権につき所轄農業委員会の許可を受けていないことは認めるが、その余は否認する。

三  被告らの主張

(被告日出雄)

1 原告は家督相続の後、本件(一)(二)の土地を今中家の跡取りである被告日出雄に贈与したものである。

すなわち、今中家は古くから三田市末地区に土地を所有し、代々農家として農地や山林を守つてきたが、亡今中慶治の長男で今中家を継ぐ立場にあつた原告は、昭和二四年結婚後間もなく家を出て他所で世帯を持ち、また次男の今中武夫も既に家を出てあとを継ぐ意思をもつていなかつたため、両名の妹である今中よし子(以下「よし子」という。)は昭和二八年二月被告日出雄と結婚して家に残り、昭和三四年一〇月には被告日出雄とよし子の母今中あい(以下「あい」という。)は養子縁組をして名実ともに被告日出雄が今中家を継ぐ者となり、以来被告日出雄は神戸商工会議所へ勤務するかたわらよし子やあいとともに農業に従事して今日に至つたのである。そして慶作名義の不動産は、同人の死亡により原告が家督相続することになつたが、三田市に残つて農業を継ぐ意思の全くなかつた原告は、遅くとも昭和三四年末ころまでの間には、相続した慶作名義の土地の一部をよし子に贈与したほか、その他の土地についても跡取りである被告日出雄に贈与した。

2 仮に右贈与の事実が認められないとしても、被告日出雄は本件(一)(二)の土地について次のとおり使用貸借に基づく耕作権を有していた。

すなわち、前項で述べたように、被告日出雄は結婚後も神戸商工会議所に勤務していたため、農作業の多くはよし子の肩にかかつていたが、農家にはいつた者として農作業を行うのは当然であつたから、被告日出雄も日曜、祝日等の休日はもちろん、農繁期には平日でも帰宅後農作業を行つてきた。このように、もつぱら被告日出雄とよし子が中心となつて農作業に従事していることを知つておりながら、原告は、昭和三六年ごろから昭和四四年ごろまでの間、農繁期に何回か手伝いに来たことがあるのみで、昭和二四年に家を出てから本件買収が行われるに至るまで、被告日出雄らに耕作一切を任せてきたのである。したがつて、原告は、自らは農業を放棄しており、被告日出雄らが耕作することを承認していたものにほかならないから、原告と被告日出雄らとの間には、本件(一)(二)の土地について使用貸借による耕作権を設定する旨の明示又は黙示の合意が成立していたというべきである。

ところで、農地法三条によれば、農地について使用貸借による権利その他の使用収益を目的する権利を設定する場合には、農業委員会の許可を受けなければならないとされているが、右規定の趣旨は、農地に対する権利の設定及び移転を制限することによつて、耕作者の地位の安定と農業生産力の向上を図ろうとするもので、旧来の地主制度の復活や投機的な農地取得の抑制に配慮しながら、その権利が農業を主業とする者の手に移りやすく、その他の者に移り難くすることを目的とするものであるから、原告が家を出てから今日に至るまで、今中の農地の耕地に現に従事してきた被告日出雄らに耕作権を承認するのに農地法三条の手続は不要と解すべきである。

また仮に、本件(一)(二)の土地に対する耕作権の設定につき本来的には農地法三条の許可が必要であるとしても、自己が家督相続したものであるにもかかわらず、その土地の維持、管理、耕作一切を被告日出雄らに委ねておいて自ら農地法所定の手続をとらなかつた原告が、その耕作の実態を認められて補償を受けた被告日出雄に対し、右補償分の損害賠償を請求することはとうてい許されるべきことでなく、原告の主張は権利の濫用である。

3 仮に右主張が認められないとしても、被告日出雄は、本件(一)(二)の土地について使用貸借に基づく耕作権を時効取得した。

すなわち、被告日出雄は、昭和二八年二月一六日によし子と結婚した後、よし子と協力して農業に従事してきたが、この間末地区の人達も被告日出雄を今中という農家の当主と認めて処遇し、被告日出雄自身もそれを当然のことと考えて当主としての一切のつとめを果たしてきた。本件(一)(二)の土地の耕作、維持、管理についても、被告日出雄は、農家の当主として当然にその権利を有するものと信じてこれに当たつてきたのであり、しかもそのように信じて耕作するについて何らの過失はなかつたから、昭和二八年二月一六日から一〇年後の昭和三八年二月一六日の経過により使用貸借に基づく耕作権を時効取得した。また、被告日出雄がそのように信じたことに過失があるとしても、昭和二八年二月一六日から二〇年後の昭和四八年二月一六日の経過により右権利を時効取得したというべきである。

被告日出雄は、本訴において右時効を援用する。

(被告県)

被告日出雄に対し、本件(一)(二)の土地について耕作権を認めた上でその消滅に対する補償を行つた被告県の行為は正当であつて、何らの違法、過失はない。

すなわち、今中家の農家に対する買収に伴う補償に当たつては、登記簿上の所有者が既に死亡している慶作となつていたため、被告県としては不動産登記簿、農家台帳等の上での名義人を真実の権利者と認めることができない実情にあり、補償の相手方を確知するためにその権利関係について調査する必要があつた。そこで右権利関係について調査を行つたところ、被告日出雄は昭和二八年以来三田市において妻よし子及び義母あいと共同で生活して農業を営んできており、また、過去において三田市末西地区の農区長(慣行上五〇アール以上の農地を耕作し、経営している農家の代表者が選出される。)にも選出されているなど実質上今中家の主たる農業経営者として農業を主宰していた事実があり、当該地区農民からも今中家の農業の主宰者と認められていたので、補償を受けるべき相手方であると認められた。他方、原告は、家督相続による本件農地の所有権者であつたため、これも補償を受けるべき相手方であると認められた。

被告県としては、わが国の農業が通常家族を構成員とする家族農業経営体ともいうべき世帯員によつて経営されていることから、農地に対する補償に当たつても、農地を農地として維持してきた右家族農業経営体に対して補償をするというのが基本であり、家族農業経営体の構成員相互の権利関係については右構成員の協議内容によつて確認して、これに応じて補償額を配分するのが望ましい補償のあり方との根本的な考えに基づき、家族農業経営体である今中家に対する補償についても、原告を含む今中家の構成員の役割に応じて配分されることを期するため、今中家の構成員の協議に基づく補償割合によることとし、原告の委任状、被告日出雄の耕作権割合の確認書類等の提出を受けて、被告日出雄の耕作権割合について原告と被告日出雄との間の協議が整つたことを確認した上で補償を行つたものである。また、被告日出雄の耕作権について三田市農業委員会の許可は得られていなかつたが、仮に権利移動の許可申請手続が原告及び被告日出雄の連名で行われた場合には、農地法三条二項各号所定の不許可要件は存在せず、農業委員会としてもこれを許可しなければならない事情にあつたから、本件においては単に許可申請手続が行われていなかつたにすぎず、実質的には被告日出雄が耕作権を有していたというべきである。

したがつて、このような被告日出雄に対し耕作権の補償を行つた被告県の行為は正当であつて何らの違法、過失はない。

四  被告らの主張に対する認否

被告らの主張はいずれも争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1の事実、同2、3の事実のうち、本件(一)(二)の土地が被告県による武庫川総合開発青野ダム建設事業用地として買収の対象となつたこと、右用地買収交渉に際し、被告日出雄において、原告が同被告の耕作権を承認する旨の確認書を作成して被告県に提出したこと、昭和五〇年一二月二六日原告及び被告日出雄と被告県との間で、本件(一)の土地について代金七六四〇万八二一〇円(内金三四三八万三六九五円は被告日出雄の耕作権に対する補償分)とする第一回売買契約が締結されたこと、右代金額が昭和五一年一二月一七日に二三五二万三〇六九円(内金一〇五八万五三八一円は被告日出雄の耕作権に対する補償分)増額されて総額九九九三万一二七九円(内金四四九六万九〇七六円は被告日出雄の耕作権に対する補償分)になつたこと、右代金として、被告県から原告に対し合計五四九六万二二〇三円、被告日出雄に対し合計四四九六万九〇七六円がそれぞれ支払われたこと、昭和五七年四月一日原告及び被告日出雄と被告県との間で、本件(二)の土地について代金五九八五万六七五九円(内金二六九三万五五四一円は被告日出雄の耕作権に対する補償分)とする第二回売買契約が締結されたこと、右代金として、被告県から原告に対し三二九二万一二一八円、被告日出雄に対し二六九三万五五四一円がそれぞれ支払われたことは、いずれも当事者間に争いがない。

右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  本件(一)(二)の土地は、もと慶作の所有していたものであるが、同人が死亡した昭和二〇年六月一三日には既に原告の父今中慶治が死亡していたため(同人は昭和一八年一一月八日に死亡)、その長男である原告がこれを家督相続した。原告は、昭和二三年一月一〇日(婚姻届出は昭和二六年一月八日)に岡本加代子と結婚して生家において母あいらと同居するようになつたが、当初から妻加代子と母あいの折り合いが悪く、結婚後一年もたたないうちに加代子が過労で倒れて実家に帰らされることになつたのを機に、同女の父岡本為一から離婚の申出がなされるに至つたので、原告、あいらを中心に原告の親族間において協議したところ、原告夫婦がしばらく今中の家を出るのが一番よいという結論が出て、以後しばらく原告夫婦はあいらと別居して暮らすこととなつた。原告としては、あいと岡本為一との間で折り合いがついて戸主として生家に戻れるようになるのを心待ちにしていたが、結局、折り合いがつかないまま昭和五一年にあいが死亡し、その後現在に至るまでその機会は得られないまま終わつた。

ところで、原告が家を出た後、本件(一)(二)の土地を含む今中の家の田畑の耕作は、あいとよし子が中心となつてこれを行つていたが、昭和二八年二月一六日によし子が被告日出雄と結婚した後は、同被告も、あいらと同居するとともに、神戸商工会議所に勤務するかたわら、日曜、祝日等を中心に年間五〇日程度右田畑の耕作に従事するようになつた。被告日出雄やよし子は、原告が家を出た後も、いわゆる当家の跡取りである原告が帰つてきたときのことを慮つて、原告が帰つてきた場合にはいつでも家を出る気持ちでいたが、前記のような事情により原告が帰つてくる見込も立たず、また子供らが近所では今中と呼ばれているのに学校では被告日出雄の旧姓である楠瀬と呼ばれて不自由な思いをしていたこともあつて、今中の家に養子に入つて姓を変えることを思い立ち、昭和三四年一月一六日被告日出雄はあいと養子縁組をした。そして、右養子縁組の後は、農家としての今中の家の対外的な付き合いは被告日出雄が表立つてこれを行うようになり、今中の家の属する三田市末西地区の農区長にも選出されて同被告がこれに名を連ねるようになつていた。他方、原告は、昭和二四年に家を出た後、箕面市に住まいし、大阪の農林省作物報告事務所に勤務するようになつていたが、昭和三七、八年ころ、あいが病気になつた折、農繁期に数回手伝いに来ただけで、本件(一)(二)の土地を含む今中の家の田畑の耕作はもつぱら被告日出雄、よし子らが行うに任せていた。

(二)  昭和四七年被告県による武庫川総合開発青野ダム建設事業計画が発表されたが、本件(一)(二)の土地を含む今中の家の田畑も右のダム開発に伴う用地買収の対象とされた。被告県との具体的な買収交渉に先立ち、昭和四八年一〇月ころ、買収の対象とされた土地建物について所有権、耕作権等の権利を有する者によつて地権者会が組織され、この地権者会において、所有者の代表と耕作権者の代表との間で、被告県から補償を受けるに際しての補償割合につき討議が重ねられていたが、被告日出雄は今中の家を対外的に代表する者として右地権者会に出席し、地権者会での討議の状況と後記((三)項)するような被告県の担当者三谷らとのやりとりの中で、原告は家督相続人として買収対象土地の所有者とはなつているものの、実際に耕作をしているのは自分達であるから、自分達にも耕作権が認められ補償を受けられるものと考えるようになつた。本件(一)(二)の土地は、原告が家督相続によりその所有権を承継したものであるから、本来は原告も所有者として地権者会に参加した上で被告県との買収交渉に直接当たるべきところではあつたが、原告は箕面市に居住していて現地での夜間交渉に参加することもままならない状況にあつたため、原告は被告日出雄の申入れを受けて、本件(一)の土地の売買契約締結については同被告にこれを委ねることにした。昭和五〇年一二月中ころ、原告と被告日出雄は宝塚駅付近の喫茶店において右委任に必要な委任状等の書類を作成するために会談したが、その際、被告日出雄は原告に対し、右時点における地権者会と被告県との一般交渉の進捗状況、被告県から既に第一回の売買単価の提示があり近く価格の最終提示がなされる予定になつていること、地権者会と被告県との話合いの過程で実際に耕作している自分達にも補償が得られる見込みが出てきていること、補償割合については地権者会と被告県との話合いの内容にそつて決めていく方針であることなどを話した上で、原告から本件(一)の土地の売買契約締結についての委任状の交付を受けた。その後の地権者会における所有者代表と耕作権者代表の討議の結果、被告県から補償を受ける際の補償割合は、最終的に所有者五五パーセント、耕作権者四五パーセントを準拠基準とする旨の合意がなされるに至つたが、被告日出雄も右地権者会の基準に従つて、原告の所有権の割合を五五パーセント、同被告の耕作権の割合を四五パーセントとする原告及び被告日出雄の連名の確認書を作成して被告県に提出し、昭和五〇年一二日二六日原告を代理して被告県との間で本件(一)の土地について代金額を四二〇二万四五一五円とする第一回売買契約を締結するとともに、同日、自らの耕作権についての被告県との間で補償金額を三四三八万三六九五円とする権利消滅に関する契約を締結した。右金員は、同年一二月三〇日に二〇パーセント、翌五一年三月二九日に六〇パーセント、同年五月三一日に残り二〇パーセントと三回に分けて被告県から被告日出雄に支払われたが、被告日出雄は、まず全体の八〇パーセントの支払があつた昭和五一年四月の段階で、原告に支払うべき代金約三三六〇万円のうちから原告の所得税分一九〇万円を控除した残りの約三一七〇万円を原告宛送金し、最後の二〇パーセント相当分は被告県からその支払がなされた時点で原告宛送金した。右第一回売買契約では、公簿上の面積に基づいて代金額等が算定されていたが、後に実測したところ実測面積がこれを上回つていたため、右実測面積に基づいて算出した価額に増額変更されることとなり、昭和五一年一二月一七日被告日出雄は原告を代理して被告県との間で第一回売買契約の代金額を一二九三万七六八八円増額する旨の契約を締結するとともに、同日、自らの耕作権消滅に関する契約の補償金額を一〇五八万五三八一円増額する旨の契約を締結した。右増額分の各金員は同年一二月二四日に被告日出雄に支払われ、被告日出雄はこのうちから原告の取得分を原告宛送金した。昭和五一年中には、本件(一)(二)の土地以外の土地で、原告が家督相続していた土地についても被告県との間で買収交渉が行われたが、これらの土地については被告日出雄らが耕作しておらず、他人に小作に出していた関係もあつて、原告自らが被告県と交渉し直接契約を締結した。このようなことから、それ以後の本件(二)の土地を対象とする第二回売買契約の被告県との交渉にも原告が直接これに当たるようになつたが、原告は、第二回売買契約の被告県の担当者米谷から、第一回売買契約と同様に被告日出雄との補償割合を五五パーセント対四五パーセントとする契約をしたいとの申入れを受けたのに対し、これを容れて自ら被告日出雄の耕作権の割合を四五パーセントと認める旨の確認書を作成提出した上で、昭和五七年四月一日被告県との間において本件(二)の土地につき代金額を三二九二万一二一八円とする第二回売買契約を締結した。また、同日、被告日出雄も本件(二)の土地の耕作権につき被告県との間で補償金額を二六九三万五五四一円とする権利消滅に関する契約を締結したが、右各金員は、同年四月三〇日に被告県から原告及び被告日出雄にそれぞれ支払われた。

(三)  本件の用地買収における被告県の基本方針は、更地買収、すなわち、土地所有者に対するその土地の更地価格による買収を基本とし、当該土地に所有権以外の用益権が設定されている場合には、更地価格に右所有権と用益権の割合を乗じて各権利の補償金額を算定し、これによつて買収することとしており、その際、農地の買取に当たつては、いわゆる農地法上の許可がなされていない権利についても、実態に応じて権利を認定し、所有権と用益権の補償割合は権利者間の協議によることとしていた。右のように農地について、その実態に応じて補償しようという運用は、既に水資源開発公団による滝畑ダム、一庫ダム建設に伴う用地買収の際にもみられたもので、被告県もこれらの運用に従つたものであつた。本件(一)(二)の土地を買収するに先立つて、被告県は昭和四九年初めころから本件(一)(二)の土地について権利者確定の調査を始めた。右調査の際の手順としては、まず第一に不動産登記簿上の権利者を確認し、第二に農業委員会において農地法上の耕作権の有無を調査し、第三に農家台帳上での耕作の実態を調査し、第四に現地に臨んで耕作の実態を把握するという段階を踏んで調査を行つたが、その結果、本件(一)(二)の土地については、不動産登記簿上既に死亡した慶作の所有名義になつていたが、原告が家督相続していること、農地法二〇条のいわゆる農地賃貸借台帳に記載された耕作権はないが、農家台帳の上ではあい、よし子及び被告日出雄が耕作していることになつていること、そして現地での調査によれば、あいは高齢でほとんど耕作に従事していないため台帳上の名義人にすぎず、現実にはよし子が主たる地位で、被告日出雄が従たる地位で耕作に従事していることが判明した。このような事実から、当時の被告県の買収担当者であつた田中清、三谷定夫らは、被告日出雄、よし子夫婦にも耕作権が認められると判断し、被告日出雄と具体的な買収交渉を進める中で同被告を耕作権者として扱つていく方針であることを示唆し、以後そのような態度で同被告と交渉を続け、同被告から原告の委任状と耕作権確認書の提出を受けた上で、昭和五〇年一二月二六日第一回売買契約及び権利消滅に関する契約を締結するに至つた。そして、右のような耕作の実態は、本件(一)(二)の土地を通じてかわるところがなかつたし、第一回売買契約の締結に当たつて原告から被告日出雄の四五パーセントの耕作権を認める旨の確認書が提出されていたことなどから、第二回売買契約の際の被告県の担当者米谷健は、原告に対し、本件(二)の土地についても第一回と同様の割合で契約締結したい旨の意向を示したところ、原告もこれを了承したので第二回売買契約を締結するに至つた(第一回売買契約締結当時の被告県の担当者が田中清及び三谷定夫であつたこと、第二回売買契約締結当時のそれが米谷健であつたことは、原告と被告県との間においては争いがない。)。

以上の事実が認められ、〈証拠〉中、右認定に反する部分はその余の前掲各証拠に照らして俄かに措信しがたく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

二ところで、原告は、本件(一)(二)の土地について被告日出雄に耕作権はなかつたと主張するのに対し、被告らはこれがあつたと主張するので、以下この点について検討する。

前項の(一)で認定した事実によれば、原告は、昭和二〇年六月一三日に慶作が死亡したことにより本件(一)(二)の土地を家督相続したものの、原告の妻加代子と原告の母あいとの嫁と姑の折り合いの悪さなどの事情から昭和二四年に家を出て、以後これらの土地の耕作をほとんどよし子や、昭和二八年によし子と結婚した被告日出雄の手に任せていたことが認められ、同じく(二)で認定の事実によれば、昭和五〇年一二月中ころ宝塚駅付近で会談した際に、被告日出雄は原告に対し、地権者会での討議の状況や被告県の担当者とのやりとりから、実際に耕作に従事している同被告らも耕作権者として補償を受けられる見込みであること、補償の割合については地権者会や被告県の指導に従うつもりであることなどを話しており、原告もこれを承知の上で委任状を作成していたことが認められる。

してみると、原告は、遅くとも第一回売買契約締結に先立ち、被告日出雄らが現実に耕作に従事していた本件(一)(二)の土地について同被告に対し使用貸借に基づく耕作権を設定していたものと認めることができる。

もつとも、農地について使用貸借による権利を設定するには、農業委員会の許可が必要であり、右許可を受けないでした行為は、その効力を生じないものとされているところ(農地法三条一項、四項)、本件(一)(二)の土地に対する被告日出雄の耕作権について農業委員会の許可が得られていなかつたことは、当事者間に争いがない。

そこで考えるに、先に認定したとおり、被告日出雄は、結婚後よし子やあいら、その世帯員と共に自ら本件(一)(二)の土地の耕作に従事して、その効率的な運用に心がけてきていたのであつて、その耕作権設定につき、農地法三条二項各号所定の不許可事由はもとより、同法一条の目的に照らしてもこれを許可すべきでない事情は何ら認められない。したがつて、仮に許可申請手続がとられていたならば、許可されたであろうと認められるところ、いわゆる強制収容手続において、農業委員会の許可なきまま関係人として耕作権の主張がなされたのに対し、土地収用法の規定に従い、これを正当な権利と認めて補償することの適否が問われる場合はさておき、本件のような任意買収手続にあつては、結局のところ当該農地の買収の対価たる更地価格相当額を所有者と耕作者との間において分配するか、分配するとしてどのような割合で分配するかの問題に帰するのであるから、たとえ農業委員会の許可がないにしても、耕作権を主張する者に現実に耕作の実態があつて単に許可申請手続がとられていないというにすぎず、かつ所有者がその耕作権を承認しているという事情があるのであれば、この所有者の意思に反してまでその耕作権を否定しなければならないとする理由はない。しかも、本件において原告は、既に第一回売買契約に先立ち、昭和五〇年一二月中ころ被告日出雄と会談した折に、同被告から自分達も耕作権者として補償を受けられる見込みであること、所有者と耕作権者との間の補償割合については近く地権者会で示される基準や被告県の指導などに基づいて決める方針であることなどを説明されて、具体的な金額はともかく、地権者会や被告県との討議の末に決定される割合によつて耕作権者である被告日出雄にも補償金が支払われる予定であることを了承した上で、自己の売買契約についての委任状を作成交付しており、また、第二回売買契約の際には、被告県の担当者の指導によるとはいえ、自ら被告日出雄の耕作権割合として四五パーセントを承認する旨の確認書を作成提出し、被告日出雄に右割合の補償金が支払われることを了承していたのであるから、被告日出雄が本件(一)(二)の土地について被告県との間で耕作権消滅に関する契約を締結し、これに基づき同被告から補償金の支払を受けたとしても、右行為に何らの違法性はないというべきである。

また、そうだとするならば、被告県が、前項の(三)で認定したような経緯でもつて本件(一)(二)の土地に対する被告日出雄の耕作の実態を調査確認し、かつ、原告からも委任状、確認書の提出を受けてその耕作権を承認する意思を確認した上で、本件(一)(二)の土地につき被告日出雄に耕作権ありと認めて耕作権消滅に関する契約を締結し、これに基づき同被告に対し補償金を支払つたことも正当であつて、何らの違法性はないといわなければならない。

そうすると、被告らの行為に原告主張のような違法はないから原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないといわざるをえない。

三以上の次第で、原告の本訴請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官坂詰幸次郎 裁判官萩尾保繁 裁判官石原稚也)

別紙物件目録

(一)

兵庫県三田市大字末字平井一〇九八番

田 三〇四平方メートル

右同 字北台一一二二番

田 四八五平方メートル

右同 字北台一一三〇番

田 八二平方メートル

右同 字北台一一三一番

田 四〇〇平方メートル

右同 字北台一一三二番

田 二二一平方メートル

右同 字岡ノ谷一一三七番

田 六九四平方メートル

右同 字岡ノ谷一一三八番

田 一二八平方メートル

右同 字岡ノ谷一一三九番の一

田 一九八平方メートル

右同 字岡ノ谷一一三九番の二

原野 六二四平方メートル

右同 字岡ノ谷一一八四番

田 一四八平方メートル

右同 字岡ノ谷一一八五番

畑 一七五平方メートル

右同 字岡ノ谷一一八六番

畑 四五二平方メートル

右同 字岡ノ谷一一八八番

畑 二六一平方メートル

右同 字岡ノ谷一一八九番

原野 二九〇平方メートル

右同 字岡ノ谷一一九〇番

畑 一一五平方メートル

右同 字岡ノ谷一一九一番

原野 六二平方メートル

右同 字岡ノ谷一一九二番

田 一八五平方メートル

右同 字岡ノ谷一一九三番

畑 一一二平方メートル

右同 字岡ノ谷一一九四番

田 一五八平方メートル

右同 字岡ノ谷一一九七番

原野 三四七平方メートル

右同 字岡山二一六三番

畑 四七二平方メートル

(二)

兵庫県三田市大字末字野手西一二〇六番

田 三〇二四平方メートル

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